「金閣寺」(三島由紀夫)①

巨大な建造物を構築したような重層構造

「金閣寺」(三島由紀夫)新潮文庫

幼少の頃から
吃音に悩まされていた「私」は、
父からよく話を聞いていた
金閣こそ
地上の最上の美であるという
幻想を抱きはじめる。
父の死後、
金閣寺の徒弟となった「私」は、
己の身の孤独と
金閣の美の魔力に
囚われていく…。

三島由紀夫の、
というよりも日本文学の
傑作中の傑作です。
これで4度目の再読となります。
4度読んで、
この作品の複雑な構造について
改めて知ることが出来ましたが、
作品の全貌について
まだ捉え切れていません。

青年僧が金閣に放火、
という実在の事件をもとに
書かれているため、
筋書きはいたって単純です。
本作品は事件そのものを
書き表そうとしたものではないのです。
事件に至るまでの
若者の屈折した精神を
丹念に描ききっているのです。

とはいえ、
その根本的原因は何なのか?
単純ではありません。

生来の吃音がきっかけなのか?
それはあくまでも要因の一つでしょう。
確かに「私」にとっては
吃りは重大な障碍なのですが、
それがすべてではないのです。

かつて憧れた女性・有為子の死が
「私」の心に暗い影を落としたのか?
それは確実ですが、
その事件自体は「私」の変容の
発端に過ぎないと思うのです。

母親の疎ましい存在が
問題だったのか?
13歳の「私」の
目の前での裏切りによって、
母親が「汚いもの」の象徴として
刻み込まれたことは否めません。

父親の死が作用しているのか?
それによって生じた
「私」の環境の変化は大きいのですが、
「私」自身は父親の死を
悲しんでいるわけではありません。

吃音が障碍であることを
さらに意識させるに至った
「悪友」柏木の負の影響か?
それも大きいことは確かです。
彼はいくつかの場面で
「私」の意識の進む方向を
加速させています
(変化させてはいない)。

他にも
友人・鶴川との関わりと彼の死、
鹿苑寺住職との確執、
そして何よりも戦争と敗戦が
少なからず「私」の狂気を
補強していったことは
間違いありません。

「私」の破滅的な思想と行動は、
読み手の安易な感情移入を
ことごとく拒み続けます。
そしてそれにともなって作品自体も
私たちの理解を
はねつけているような感覚を覚えます。

いや、
むしろ「私」の狂気を構成する性質の
異なる要因を一つ一つ
丹念に積み上げ、
巨大な建造物を構築したような
重層構造を体感することこそ、
本作品を味わう
醍醐味なのかも知れません。

(2019.2.13)

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